静岡市の文化財

清見寺朝鮮通信使詩書一覧

No.9 書記南聖重(仲容・泛叟)五言絶句・七言絶句

使行年
西暦1711年
制作者
南聖重
形態
紙本墨書
制作年代
正徳元年・西暦1711年
寸法
縦36.9cm×横63.2cm
書記南面聖重的(仲容、泛叟)5言絕句、7言絕句
清見寺走筆贈芝老師

古寺鐘声落
疎林燭影斜
逢君無限感
欲説海無涯
 右一絶 昨夕思之
 而行忙 今始録奉
更次呈使相韻
幕府声名愧昔賢
先君旧躅覓遺牋
長門不尽余生涙
更洒鰲山日暮天
 長門州安徳寺得見手蹟故云

辛卯仲冬下浣 南仲容泛叟

清見寺に走筆して芝老師に贈る

古寺に鐘声落ち
疎林に燭影斜めなり
君と逢ふ無限の感
海の涯なきを説かんと欲す
 右の一絶は昨夕これを思い、
 しかして行に忙しく、今はじめて録奉す
更に次して呈すに相韻を使う
幕府声名昔賢をはづ
先君の旧躅に遺牋をもとめ
長門に尽きず余生の涙
更に鰲山にそそぐ日暮の天
 長門州安徳寺に手蹟を見るを得たり故に云ふ

清見寺に走筆して芝老師に贈る

古寺の梵鐘(ぼんしょう)が鳴り響き、堂宇(どうう)の灯が外に洩(も)れている。老僧(ろうそう)との面会には無限の感慨(かんがい)をおぼえるのは、あたかも大海原の茫洋(ぼうよう)とした趣のようである。

右の絶句(ぜっく)は、昨夕思いついたが、旅程が忙しく、今はじめて記録します。

更に次して相韻を使わす

現在の幕府の声価(せいか)は過去の賢人達に恥ずかしく思わせるものがあり、先考(せんこう)の足跡をたどって書跡を探索しているのであるが、長門国(ながとのくに)安徳寺(あんとくじ)で先考の書跡を見たときには、私の生涯忘れ得ぬものとなったのであるが、この清見寺でも同じ懐旧(かいきゅう)の念にとらわれ、涙ながらに日暮れまで見守ったのである。

長門国安徳寺で先考の書跡を発見したので、この詩を賦したのである。

The old temple’s bell rings out, and light from the temple escapes to the outside. As I recall the infinitely deep emotion of my meeting with the old priest, it feels like the vast expanse of the open sea.

I came up with the Chinese poem at right last night, but as our schedule is hurried, I wrote it down for the first time now.

The reputation of the modern bakufu would make the wise men of old ashamed. Searching the writings left where our predecessors traveled, when I saw what they left at Antokuji temple in Nagatonokuni [in and around modern-day Yamaguchi prefecture], it was something I will never forget for all my life. Here at Seikenji, too, I am struck by the same yearning for days gone by, and tears roll down as I watch the sun set.

The writings of our predecessors were discovered at Ankokuji temple in Nagatonokuni, so I composed this poem.

청견사에서 즉시 써서 지안스님에게

오래된 절에 종소리 지고  성근 숲에 촛불 그림자 바낄 때,
그대 만남 무한한 감회  말하자니 바다처럼 가이없구나.

오른쪽 절구 한 수는 어제 저녁에 생각하였으나 걸음이 바빠서 이제 비로소 기록하여 올린다.

다시 차운하여 정사 상공에게 올린 운

막부에 올린 성명은 선현에 부끄러우나  선군의 옛 자취를 시고에서 찾는다.
장문에서 못다 한 불초의 눈물을  오산의 해 저무는 날에 다시 뿌린다.

장문주(長門州)의 안덕사(安德寺)에서 필적을 보았기 때문이 이른 말이다.

신묘년 중동 하완 남중용 범수 [인] 범수

*南聖重・・字は仲容、号は泛叟。壷谷南龍翼の息子で粛宗37年(1711年)に書記として随行した。
*先君・・亡くなった父親。作家南聖重の先君は、乙未年(1655年)に従事官だった壺谷南龍翼。

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